初めての方は「乳がん体験記を書き始めます」にもお目通しいただければ幸いです。私の治療の概要は「乳がん治療の全容:要約版」を御覧くださいませ。
手術の順番は3番目、大幅に遅れたオペ
朝イチの手術だといいな、という勝手な希望は天に届かず、私の順番はラストの3番目。「13時くらいに呼ばれます」のはずが、実際に呼ばれたのは15時45分でした。
手術当日のタイムライン
- 10:00点滴開始
朝食抜き。2番目・3番目の患者は午前中に点滴をします。お昼からは水分も禁止。緊張で喉が渇き、一層
冷たいビールお水が飲みたくなりました。「手術中に死んだら昨夜の病院食が最後の晩餐になるのか…」等、この期に及んで食べ物のことを考えていました。
- 12:00術着に着替え&弾性ストッキング装着
手術の30分前に着替えるように指示あり。パンツを脱ぎT字帯をつけ、術着を着ます。
弾性ストッキングとは、足を強く圧迫することで血液の滞留を防ぎ、血流を促すハイソックスです。が、あまりのきつさにびっくり!逆に血流止まるんじゃないの?と思いました。
- 15:45看護師さんが呼びに来る(2時間45分遅れ)
手術室の階までエレベーターと徒歩で移動。手術ゾーンの手前に自動ドアがあり、そこで付添のパートナーと両親にバイバイし、独りで進みます。
術中の突然死などで、これで会うのが最後かもしれないと思うと、涙がこぼれそうに…パートナーをギュッと抱きしめて「いってきます。愛してるよ!」と言いました。
- 16:00手術室に入る
自動ドアの向こうには手術担当の看護師さん3人が迎えに来ていました。名前と生年月日の確認をし、血圧を測り、麻酔をかけられます。
もはや自分にできることはなし。医療のプロに身を任せます。
- 20:40病室に戻る
手術室から病室に運ばれている最中に、麻酔から目が覚めました。
- 21:10パートナー・両親と再会(30秒)
予定時間を大きく過ぎていたため、付添人とは一瞬顔を合わせただけ。
パートナーの顔を見た瞬間「良かったまた会えた!」と思いました。
- 22:30痛み止めの座薬
この時点で痛すぎて眠れる気がしなかったので、痛み止めの座薬投与。
- 23:10痛み止めの点滴
痛みに我慢できず、点滴の痛み止めを追加してもらいました。
手術直前のアクシデント3連発
手術室への自動ドアを抜けるとそこは別世界。さすがは大学病院、延々とオペ室が続いています。手術担当の看護師さん3人が私を囲み「大丈夫ですよ」「一緒に行きましょうね」と声がけしてくれます。
すごいなあ。まだ若いのに。命の現場、タイトなスケジュールでテキパキ動きながらも口調は限りなく穏やか。そういう訓練をされているのでしょうか。
尊敬の念を込めて「優しくしていただいて、ありがとうございます」と頭を下げました。本心でした。「とんでもない!これが仕事ですから」ですと。自分が彼らの年齢の時、こんなにしっかりしてたかしら?
長いオペ室への道のり。緊張を紛らわせようと雑談します。「なぜ私のオペが遅れたか伺ってもいいですか?部屋が空かなかった?それとも前の方の手術が押して?」と聞くと「部屋の問題ではなく切り手の事情です。足りてないというか…」とのこと。
やはり1人目2人目と同じ人が私を切るのね!じゃあもうめっちゃ疲れてる?大丈夫なのかな?と急に不安になりました。心臓バクバク!雑談が裏目にでる!
アクシデント① 尋常じゃない体温低下
オペ室に入り、点滴を刺そうとした看護師さんが「うわ冷たい!これはいけない!」と叫びます。急遽、電気で加温するフワフワの毛布で包まれました。あったけええ〜きもちいい〜。
「どうですか?暖まりますか?」看護師さんが優しく私をさすります。「はい、とっても暖かいです。よく眠れそうです」とジョークを飛ばしてみましたが、誰も笑ってくれませんでした。
体温が低下すると麻酔が効きにくくなるので、この処置をしたと説明がありました。
アクシデント② 危険!血圧190超え
安心したのも束の間、今度は別の看護師さんが「先生ぇ!血圧がぁ!」と叫んでいます。麻酔科の先生が「えっ192って、ど、ど、どうした、いや、どうでしょう」と意味がわからないコメント。
看護師さんが何度も測り直してる間、自分なりに一生懸命落ち着こうと深呼吸を繰り返しました。でも落ち着こうとすればするほど「高血圧によりメスを入れた瞬間吹き出る血潮」等を妄想し、落ち着けない私。ちなみに普段の血圧はとても低いです。
アクシデント③ 麻酔が効かない!?
なんとか体温低下と血圧上昇を乗り越え、やっと麻酔の手はずが整いました。麻酔科の先生も落ち着きを取り戻し、私の口にマスクを被せながら「は〜い少し眠くなってきましたね?」と聞いてきます。素晴らしいバリトンの美声。
「いいえ。眠くないです」と正直に答えました。「えっ!?」ざわつくオペ室。先生が一旦機械の方に戻ります。
「…どうです?眠くなってきました?」「いいえ。眠くありません」今度は「えぇ!なんで?」と誰かが言うのがハッキリ聞こえました。再度先生が機械に戻り、またやってきました。
「…さぁてと。カウントしてみてください」「はい。いち、にー、さぁーん…」の後は覚えていません。やっと深い眠りに。
無事に手術が終了、でも何かがおかしい
麻酔から目が覚めたのは、手術室から病室への移動中。主治医自らベッドを押しているのが見えました。朦朧としつつ「先生?」と話しかけてみると「ハイ!そうです!」とお返事が。この瞬間、自分が生還したんだと確認しました。
戻ってきたら病室はゴミ屋敷
部屋に戻ったのが20時40分頃。近くで待機しているはずなのに、パートナーも両親も一向に病室に現れません。(この理由は次の記事で…)
そして部屋の中は、ぐっちゃぐちゃに荒れています。
あんなに周到に、術後に必要なものを整理整頓してきたのに、それらは何一つ見当たりません。
準備物の全てが消えている!
私のパートナーはとても真面目で几帳面なので「乳がんの手術を受ける患者さんへ」というガイドブックを熟読し、手術から3時間以上経てば、水分と、ヨーグルトやゼリーなどのカロリー補給ができることを知っていました。
なので、前もって枕元には水とスポーツドリンクを、冷蔵庫の中にはヨーグルトやゼリードリンクを準備し、不安な夜にいつでも連絡できるように、スマホの充電器と充電ケーブルを両方揃えてくれました。
ところがそれらは全て、手術から戻ってくると、忽然と消えていたのです。
慌てて動けない体をやや捻って見渡すと、部屋の隅、全く手の届かないパイプ椅子の上に全てのものが乱雑に積み上げられていました。
おそらく、ベッドを手術室に運ぶために、机の上のアイテムをどける必要があったのでしょう、それは仕方がないです。
でもそのぐっちゃりした山は、下から順番に、患者ガイドブック、ドリンク、丸まった私のパジャマ、バスタオル、そして頂上に横倒しのゴミ箱(中のゴミは私の服やドリンクの上に散乱)、スマホケーブルの1部が山の斜面から突き出している状態でした(翌朝に主任看護師が確認)。
衛生の概念がないのか。一体誰がこんな部屋にしたのか。
無事生還のムードをぶち壊す看護師M子
長い闘病中に、デリカシーのないセリフを言われたり、辛かったことや傷ついたことはたくさんありました。でも未だに許せない人物はただ1人、手術直後に夜勤担当だった看護師です。
待ち時間5時間、面会は30秒で「帰れ」
病室にやってきた高齢の両親を秒で家に帰らせ、入れ替わりでパートナーが入室。
水やスマホがなくなっていることを伝えようとしたその瞬間、無言で電気を消す看護師M子。消灯時間で部屋の電気は既に消されているので、私の枕元も真っ暗に。
手術が終わるまで5時間の以上待って、病室についてまだ10秒経っていない&まだ一言も発していないパートナーに対して「お帰りください!」と凄む看護師M子。
同室の方に気を遣って無言でいた私とパートナーが、それを聞いて思わず手を繋ぐと、今度は私たちの間に無理やり上半身をいれて引き離す看護師M子。
消灯時間なのだから帰宅を促すのは当然でしょう。しかし今夜必要なものが全て消えているんだから、病室の中を確認するでしょう普通。30秒くらい待てません?
他の看護師は皆さん素晴らしく、それまで快適な入院生活だっただけに衝撃が大きく、夜の不安と、パートナーへ申し訳ないやらで、ドバドバ泣けてきました。
夜勤の人は、通常、病室に入ったら「今晩担当する〇〇です」と名乗るのですが、この人物はそれをしなかったので、翌朝名札を見るまで名前もわからず。
激痛に耐える患者をせせら笑う
「落ち着け。水が飲めるまでまだ3時間あるし、携帯もあとで探せばいい。」そう自分に言い聞かせて、まずは眠ろうとしました。が、あまりの痛みに眠れない!
「痛みは我慢せずにお知らせください」とガイドブックに書いてあったので、「大変痛いのですが…」とナースコールすると、「痛いって…そりゃ術後ですからねぇ(笑)、座薬いれます?」と冷笑。
うぅぅ悔しいよう恐いよう。しかしパートナーにメッセージ送りたくても…スマホは消えている!
私だってスマホを探してもらうためだけにナースコールを押すほどわがままじゃありません。だから座薬を入れるためにM子が病室に来たタイミングまで待って「お手数ですが、スマホをとってもらってもいいですか」と頼んでみました。スマホは例のぐちゃ山の中、発掘するのが面倒なのか「チッ」と舌打ち。
嗚呼、なんというビ◯チ。横倒しのゴミ箱も、散乱したゴミもそのままでスマホだけを抜き取るそのテクはあっぱれですが、やっぱ舌打ちはダメじゃないでしょうか。
座薬を入れて40分後、痛みは増すばかり。「やはり痛い」と訴えると「そろそろ座薬が効いてきますって(笑)」と無視されました。仕方がないのでもう一度ナースコール。
「お願い!別の看護師さんが来てくれますように!」願い虚しく現れたのはまたもやM子。負けてたまるか。「痛みが強く、眠れません。乳腺外科の先生に伝えてくださいますか」と大きめの声で言うと、やっと痛み止めの点滴をしてくれました。点滴の作業中は「フゥーッ!」「ハァーッ!」と謎の威嚇の息吹を出していました。
水が飲みたい!しかし水がない!
そして3時間経ち、やっと水分が取れる時間になりました。 朝から12時間以上1滴も飲んでないので喉はカラカラ。「飲む時は一応お声がけください」とガイドに書いてあったので、真面目にナースコールして「水が飲みたいのですが」というと「ハァ、ご自由にどうぞ?」と投げやりな返事。
だ・か・ら・枕元に水がねーんだよ!
震える声で「水に手が届きません。どこにあるかもわかりません」というと、スピーカー越しに大きな「フゥーッ!」という息吹が聞こえ、ガチャっと切られました。いやいや「じゃあ伺います」くらい言って、お願い。
朝になれば、あの素敵な看護師さんたちが戻ってくる!あともう少しの辛抱だ!と長い長い夜を過ごしました。
この顛末は、翌朝、担当看護師Oさんに伝えました。真面目なOさんは、まず部屋の状態に驚き「あってはならないこと」「夜勤の看護師が枕元を整える規則になっている」と真剣に謝ってくれました。が、後日、OさんはM子の後輩であり、M子を注意できる立場にないことが判明。
婦長さんに直接言うか、病院にご意見箱経由で通報すればよかったと、今でも後悔しています。
痛みと看護師M子以外で辛かったこと
手術直後は、想定以上に痛かったのでビビりましたが、点滴をした後はぐっすり眠れたし、翌日からは同じレベルの痛みが続くことはありませんでした。
それ以外で辛かったのは、尿管と弾性ストッキングです。
尿管はアソコに管がくっついているわけなので、やっぱり違和感ありますよね。私の場合、少し痛みもありました。尿管さえ外れれば歩行ができるので、外される瞬間(翌朝)が待ち遠しかったです。
締め付ける衣類が苦手な私にとって、弾性ストッキングは拷問に近いものがありました。せっかく痛みが引いても足が不快で眠れないので、M子じゃない看護師さんが見回りに来た時に、そっと頼んで足の甲の部分だけをまくってもらいました。
ああ、今回はなんだか毒を吐いてしまいまして…失礼いたしました。
次回は「乳がん体験記⑤ 手術翌日&転移告知編」です。ではまた!