待った無しの毒親介護④

尻メガネ
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待った無しの毒親介護③では父の機能低下、母の認知症、私の退職、そして父救急搬送からの入院についてお話しました。緊急手術は回避し一安心したものの、手術当日の過ごし方についてある決断をしたことから、とんでもないドタバタが発生しました…。

認知症の母を、手術直前の父に会わせる

入院後の静けさ

救急搬送を繰り返している間はどうなることかと思いましたが、入院してしまうとあっけなく、静かな日々が訪れました。面会不可、必要なものも洗濯もすべて病院のセットに含まれており、手術までは術前の説明を聞きに行くくらいしかありませんでした。

認知症がかなり進んだ母の方が問題でした。父がいなくなると家じゅうをひっくり返し、一番残高の多い通帳を自分の日記帳に挟んで隠すようになりました。無駄に現金を手元に置こうとしたりするので、最低限のお金以外は母が見つけられないところに保管することにしました。

父の入院先は車で20分くらいかかるところなのに、「歩いていく」と言い出したり、精神状態もかなり不安定。最初は父がどこに入院しているか、何日に手術を受けるのか丁寧に教えていましたが、忘れてもらった方が安全と判断し、手術のことも話すことをやめました。

しかしモヤモヤした気持ちは晴れず、姉に「手術の結果次第ではもう会えない。お母さんを当日会わせた方がいいだろうか?」と相談しました。手術当日に母を連れて行くのが至難の業と分かっていながら、何か後悔しそうで迷っていました。

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手術室に入る前、限定2名、一瞬だけ顔を見られると病院から説明を受けていました。危篤状態ではなかったので私1人の予定でしたが、長年連れ添った母が顔を見る権利はあるのかも…と情け心に揺れました。

ミッション・イン・ポッシブル

内心「大変だからいいよ」という言葉を期待していましたが、「すごく大変だけど、会わせてあげたい」と姉から言われました。…ですよね、頑張ります。私一人しかいませんけれども。手術当日夜には姉が実家に来てくれることになりました。

手術当日の計画
  • 9:00
    某駅

    駅弁を購入

  • 10:00
    実家

    母に駅弁を食べさせる

  • 11:00
    母の身支度

    今日は父の顔を見られる、とこの時点で話す

  • 11:30
    タクシーを呼ぶ

    アプリで予約しておく

  • 12:00
    病院

    病棟へ行って指示を待つ

  • 13:00
    手術開始

    この少し前に会える予定

  • 13:30
    院内レストラン

    ここからなるべく長く、母を引き留めておく

  • 16:00
    手術終了

    執刀医から説明あり

  • 17:00
    必要手続き後、帰宅

    タクシーで実家へ、入れ違いで姉が来る予定

母の記憶が曖昧かつ妄想が入り混じるため、手術という不安要素の多い単語は使わず、「父に会えるというワードのみで連れ出す作戦をたてました。軽い気持ちで出かけ、さらっと会い、レストランで甘いものでも食べて、夕方姉が来る頃に送り届ける予定でした。

用意周到に準備しても、天然かつ双極性障害(旧称:躁うつ病)気味の認知症患者を連れて歩くこと、しかもそれが父の手術という重要な日であることは、胃壁が全部なくなるんじゃないかという荷の重さでした。でもやるしかない…ダメもとで。

当日朝、駅で母の好きなはらこ飯を購入しました。家に着き、ご機嫌を取りながら駅弁を食べさせ、「今日、お父さんに会えるらしいよ」と切り出しました。母は何の疑いも持たず、ニコニコと出かける準備を始めました。が、このあとすぐに問題が発生しました。

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小さい頃は母の気性の荒さについて、性格だと思っていました。大学生になってから、これが甲状腺機能亢進症に起因する精神症状だと知りました。もし双極性障害のような症状でお悩みの方は、一度甲状腺の検査もおすすめします。

トリガーは姉の帰省

まずタクシーがつかまらず苦戦しました。アプリで予約したものの10分前になっても確定連絡が来ません。仕方なくキャンセルし、地元のタクシー会社に電話しました。タクシーが来るタイミングで、母が「パンを買っていない」と大声を出し始めました。

姉が夜に帰省することは事前に話していましたが、朝食べるパンがない、と思ったようです。慌てて確認すると、食パンの買い置きはありました。そのことを伝えて何とかタクシーに乗せたのですが、「パンを買わないといけない」を連呼。

忘れさせようと話題をかえるも、そこに戻ります。「帰りに買っていこう」と提案すると、「〇〇(近所の営業時間が短く美味しくないパン屋)のパンじゃないとダメ、早く帰りたい」とタクシーから飛び降りる勢いです。

病院の周りは店も何もなく、残念な売店しかないのでパンは買えません。何より12時には病院で待機している必要があったため、引きずるように病棟へ移動しました。ナースステーションで挨拶し、父が手術室へ移動するまで待つことになりました。

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こだわりが強くなるというのは認知症の代表的な症状の1つです。対処法として「否定しない」とか「話題をそらす」は定番セオリーなのですが、まずうまくいきません。正直、忍耐強さと時間経過しかないと感じてます。

地獄の待ち時間…対面は秒で終了

母の興味はパンから山へ

病棟の食堂は、180度見渡せる開放的なつくりになっています。食堂には私たち以外にも手術の終わりを待つ家族がいました。席につくと耳の遠い母が大声で「あれは××山かしら」と言いました。そして30秒に1回の「あれは××山かしら」攻撃が始まりました。

食堂にいた他の方もすぐ異変に気付いたようです。こうなると、声のトーンを落としてとお願いしても、まともに山の話について答えても、もう何も受け入れずひたすら繰り返します。周りの方は居心地悪く食堂から出て行ってしまいました。

他の方に申し訳ないとは思いましたが、認知症の母を叱ったところで、この状況は改善しません。母が飽きるまで言わせておくしかないと覚悟を決め、私は前を向き、山を眺めるようにしながら何も見ず何も考えず座っていました。

誰も自分の言葉に反応しないことに気づいたのか、母は急に黙りました。そして不意に「お父さんはどこが悪いの?」と言いました。腸捻転であることは100回も200回も説明していますが、「ん~どこだろうね」と返してまた沈黙しました。

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知らないところへ連れてこられた緊張もあり、認知症の母はマイナスイメージの言葉に対してとても敏感。母の中では、父はポリープで入院、内視鏡で簡単にとれると思っていたようです。この日は特に否定せず、話を合わせました。

手術室前で奇声

予定時間より1時間ほど遅れて、父が手術室へ入ることになりました。看護師さんに案内され、手術室前に移動します。「手術室」というワードを看護師さんが口にしていますが、母は気づいていない様子でした。エレベーターが開くと、車椅子に乗った父が待っていました。

1週間ぶりの対面。母はヘラヘラと笑いながら父に近づき、肩をバシッと叩きながら「お父さん元気なの?」と言いました(入院してますけどね…)。父はうんうん頷き、「来てくれてありがとう」と小声で言いました。

すると次の瞬間、「おとぉさぁぁん!」と悲鳴に近い奇声を発し始めました。看護師さんたちもびっくりしてしまい、慌てて父をかばうように隠しながら、手術室へと消えていきました。最後になるかもしれない対面が、母の奇声で終了。

手術が終わるまで、先ほどの食堂で待機するよう指示を受けました。数時間かかることから、ナースステーションに伝言して、一度院内のレストランへ行こうと考えていました。しかし母が一秒も座っていられない状態になってしまいました。

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警備員につまみ出されるかと思いました…本当に。父の姿を見ても手術のことは思い出さなかった母ですが、何かスイッチが入ってしまったようで興奮状態に。でも私は病院から動けません…どうしよう(虚無状態)。

ここでまさかのイヤイヤ期突入

病棟から院内レストランが離れており、往復することも、母を座らせておくことも困難と判断しました。こうなったら今日のことはすべて忘れていただき、何事もなかったかのようにまっすぐ家に帰すより他ありません。母を連れてタクシー乗り場へ。

ここで突如イヤイヤ期に入る母。「絶対タクシー乗らない!」と言い、散歩から帰りたくない犬のように、てこでも動かない状態となりました。一刻も早く病棟に戻らなければならない私は、禁じ手を選択、「お母さん、パン買いに行くんだよね?」とささやきました。

パンのことを思い出した母は、急いで帰らねばと思ったようです。「バスに乗る!」と言い出しました。バス停はここから250m先、そして母は時計を持っていません。一緒にバス停へ行って、乗るところまで確認しないと、反対方向へ歩き出す可能性があります。

モタモタ歩く母にイラついていると、ずっと先の道路右手側からバスが走ってくるのが見えました。ここで逃したら30分待たなければなりません。私は全力疾走しバスを停車させ、のこのこ歩いてくる母をのせ手を振り見送ったあと、全力疾走で病棟に戻りました。

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このあと病棟で3時間待ち…走らなくてもよかったです。実家に設置したカメラで母の帰宅も確認、安堵したのも束の間、姉の帰省時間がずれ込み私の携帯に母から鬼のように着信が。そして翌日、父コロナ陽性で隔離…続きは⑤で。

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