初めての方は「乳がん体験記を書き始めます」にもお目通しいただければ幸いです。私の治療の概要は「乳がん治療の全容:要約版」を御覧くださいませ。
長い夜が明けて、歩く喜び
人生史上で最も恐ろしい看護師M子に当たってしまった手術当日の夜がやっと明けました。
手術翌日のタイムライン
- 8:00朝食
尿管がついている間は歩行ができないので、食事と歯磨きはベッド上で行います。
超絶意地悪・看護師M子は、なんと歯磨き用のうがい受けを投げてよこすという当直最後の瞬間までブレないビ◯チぶり。
- 10:00点滴・モニター・尿管の抜去&着替え
体を拭いてもらって着替えてサッパリ。尿管が抜けると歩行ができます。
待ちに待った尿管が外される瞬間。立ち上がってそろそろと歩いてみました。ああ、歩ける。それだけでこんなに嬉しいとは!
- 11:00採血・胸部レントゲン検査
採血は部屋で看護師が行います。レントゲンの放射線科までは自ら歩いて移動。
ドレーンが抜けるまでは、排出液が貯まる透明な容器を首から下げて移動します。
- 12:00昼食
- 16:00主治医が傷をチェック
この時に初めて絆創膏を外したので、切った後の自分の胸を見ました。感想は「思ったほどグロくない」でした。自分の身体ですからね。
- 18:00夕飯
- 20:00主治医から手術後の説明
パートナーと共に、術中の生検により「リンパ節へ転移していた事実」と、それによって「治療方針が変わるという説明」を聞きました。
まさかのリンパ節転移陽性!ステージ0→ステージ2へ。
初めて知る、病人や身体の不自由な人の気持ち
もともと丈夫な上に筋トレが趣味で怪力、かつ無駄にせっかちな私は、かつて「ゆっくり歩いている人」や「重いものが持てずにもたついている人」を見る度に、いらいらしていました。
その方々の事情を想像することもなく。
ところが病人になってみると、まずさっさと歩けない!痛いし、色んなチューブが付いてるし。そして後ろから迫ってくる早い足音や、こちらに向かって注意散漫に走ってくる幼児、もう何もかもが恐い!
エレベーターに乗っても、混んでくると「胸に誰かが当たらないかな」とビクビクし、手術した側を壁にキープして、ボクサーのような構えで胸を守って乗っていたので、怪訝な顔をされることもありました。
ああ私は今まで、身体の弱い人、動作の遅い人、不器用な人に対して、思いやりなく生きてきたのだな。本当に恥ずかしい!全力で謝りたい!毎日そう思い続けた闘病生活でした。
リンパ節転移があったのか?誰も教えてくれない空白の24時間
手術にあたり、私にとっての最重要項目は「センチネルリンパ節生検」でした。
センチネルリンパ節とは、乳がん細胞が転移する時、最初にたどりつくリンパ節で、脇の下あたりにあります。手術中にここを切り取って顕微鏡で調べ(術中迅速診断)、がん細胞があれば転移ありと診断されます。その一連の検査をセンチネルリンパ節生検と呼びます。
センチネルリンパ節生検の結果が重要なワケ
まず「がんがおっぱいの中にとどまらずに転移しちゃったか否か」の検査なので、陰性(転移なし)がいいに決まっています。
そして転移があった場合は、腋窩リンパ節郭清(脇の下のリンパ節を全てきれいに取ること)をすることになり、それによってリンパ浮腫のリスクが上がります。
リンパ節とは体内からリンパ液を回収するリンパ管が集まった部分。なのでリンパ節を取り除くと、リンパ液の流れが悪くなり浮腫んでしまう場合があります。それがリンパ浮腫です。
センチネルリンパ節生検の結果 | リンパ節郭清 | リンパ浮腫リスク |
---|---|---|
陰性(転移なし)の場合 | センチネルリンパ節のみ | 10% |
陽性(小さな転移・2mmまで) | センチネルリンパ節のみ | 10% |
陽性(大きな転移・2mm以上) | 腋窩リンパ節郭清(レベル1〜3) | 30-40% |
私は親戚に、乳がん手術後のリンパ浮腫で苦しんだ方がいたので、腋窩リンパ節郭清は避けたいと願っていました。
生検結果を誰に聞いても「わからない」の謎
術前の「腫瘍経1.5cm、リンパ節転移なし、ステージ0」という診断を信じ切っていた私は、「センチネルリンパ節生検は陰性に違いない」と高をくくっていました。
なので、「やっぱり転移はありませんでしたよ」という先生からのダメ押しが早く欲しい、と思っていて、手術直後から何度か付添のパートナーに「リンパ節生検の結果どうだった?」と聞いていました。
普段、冷静沈着なパートナーの目が一瞬泳ぎ、「ええっと。まだ聞いていないな」という答え。
母親に同じ質問をすると「うーん。ちょっとわからない」との返事。え…?わからない、じゃなくて…気になりません?娘のがんが転移してたかどうか。
そして先生は病室にこない。
何かがおかしい。みんながおかしい。
まず、主治医がそんな大事なことを言い漏れるはずがないし、1万歩譲って、たとえ先生が言わなかったとしても、あのスキのないパートナーがこの重要案件について質問しないわけがないのです。
ものすごく不思議でしたが「きっと昨日は夜遅くまでの手術で、先生もみんなも疲れてて報告もれがあったのだろう。今晩の面談時にちゃんと聞けばいいや」と思うことにしました。
後日、これらは全て、主治医・看護師・パートナーを巻き込んだ、私の母親の口止め工作だったことが判明。内容がヘビーなのと、真実を知ったのがつい最近(手術から3年後!)なのでショックが大きく…改めて「がん患者の知る権利」について後日書きたいと思います。
主治医と夜の面談、転移の告知
ステージ0→ステージ2へ
コロナ渦の直前でまだ面会が許されていたので、仕事が終わったパートナーが病院に来て、食堂で一緒に夕飯を食べるというのが日課になっていました。
とりあえず手術から生還できたことと、歩けるようになりコンビニでおやつを買ったりして、気を良くしていた私は、楽観的な気持ちで面談室に入りました。
そこで聞かされたのは、まさかの「センチネルリンパ節生検、陽性」。
がんが乳管の中に収まらず、乳管を破って乳管の外へ飛び出すことを浸潤といいますが、それが最初の転移地点であるセンチネルリンパ節まで到達していたんですね。
先生の嘘つき!何がステージ0だよ!転移してるじゃんよ!
八つ当たりに叫びたい気持ちを抑えて、隣のパートナーをチラリと見ると、彼女はじっと正面の先生を見つめていました。いかんいかん、私も冷静にならなくちゃ。
「ではリンパ郭清したんですよね」と聞くと、「転移が2個だけだったので、最も範囲の少ないレベル1で郭清しました」とのこと。
脇の下の部分がレベル1、鎖骨の下までがレベル3、その中間がレベル2です。
中外製薬さんの「おしえて乳がんのコト」にわかりやすい図があります。
むぅ。がん告知でドーンと落ち込み、でもステージ0の10年生存率が99%です大丈夫と言われ浮上し、今度また転移ありと言われて突き落とされる。ジェットコースターのように揺さぶられます。
👉詳細 「乳がん体験記② 精密検査〜入院手続き編『診断は変わるもの、と学んだ』
がん告知以来、初めてみたパートナーの涙
面談が終わり部屋を出て「そっかあ。転移していたかあ」と言いました。それ以外に言葉が思いつかずいたのです。
すると突然パートナーがポロポロと涙をこぼしました。「だって悔しいんだもん」といいながら。
告知以来、私がどんな悪態をついても、パニクっても、冷静で穏やかだったパートナー。乳がんの闘病に関することで、彼女が私の前で泣いたのは、この時が最初で最後だったと記憶しています。
私は、彼女が「悔しかった」のは、がんが転移していた事だけではないと、思っています。
私たちはずっと隠し事をしない・嘘をつかない関係でした。お互いにとって、世界一誠実な人間でいたいからです。
それが今回、命に関わる大切な事柄で、無理やり嘘をつくことを強制されたこと。真面目な彼女にとって、それが一番悔しかったんじゃないでしょうか。
前の晩から転移を知っていて、かつ口止めされていたのだから、告知をされる瞬間の私を見るのはどんなに辛かったでしょう。
「やっと本人に真実が伝わった。でも真実は残酷だ。」ホッとしたけどやるせない、そんな涙だったのじゃないかしら。
次回は「乳がん体験記⑥ リハビリ〜退院編」です。ではまた!