待った無しの毒親介護②では転院後の父や母の様子、要支援1という認定に愕然としながらも、必要なサービスを契約した話をしました。今回は退院後の両親、私の仕事の話、そして別な病気による救急搬送の日々についてお話します。
父の退院で問題を棚上げ
退院後の機能低下
2021年4月中旬、父が退院しました。年度が変わり私の有休は復活したものの、会社(というより直属上司)からの評価はだだ下がり、②でお話した通り、昇給も昇進もなしとなりました。介護休暇も取得できないことから、退職を考えはじめました。
退院直後、父はリハビリのおかげで、それなりに歩き、喋ることができました。しかし残念なことに、自宅に戻るとあっという間に機能が低下しました。暖かい院内で毎日チヤホヤされた日々が終わり、父はうつ状態になっていきました。
また、脳梗塞の後遺症と病院では言われましたが、下痢を訴えるようになりました。おなかが痛いから食べない結果、入院前と比べて体重は10kg以上落ちていました。この下痢を整腸剤でごまかしていましたが、後に別な病気のサインだったことが分かります。
きょうだいの間で両親の介護を話し合い、退院後、早い段階で入所の準備をした方がいいという結論に達していました。しかし、自宅に戻った父に「早く入所を」と言い出せず、また、その手続きの煩雑さから問題を棚上げしました。
私自身、ここ数か月は仕事もプライベートも犠牲にしてかかりきりだったことから、退院後、次の問題が起きるまでもう何もしたくないモードに…。問題を先延ばししても、誰も解決してくれません。
先延ばしにしつつ身辺整理
父の退院で母の認知能力低下は少しだけ抑えられたのですが、確実に進行しています。2~3分、酷い時は10秒間隔で同じ話をするため、父が激高することが増えました。それも次第に疲れて、父は母と口をきかないことが増えていきました。
一方で母も、父の衰えが激しく、一人でお風呂に入れない状態になったため手を焼いていました。お互いが「先に入所すればいいのに」と内心思いながら、口には出さずにいる状態だったことが後に分かりました。
両親の関係性も状態も良くないことは分かっていましたが、今すぐ命にかかわる状態ではなく、ギリギリ二人で暮らせることから、私たちきょうだいは見て見ぬふりをしました。しかし先延ばししつつ、姉と私は身辺整理だけでも進めてほしいと考えていました。
もともと潔癖症な姉が奮起、隣家の境界にある塀を修復したり、大量の食器を処分したり、謎の備蓄食をフードバンクにおさめたり、精力的に進めてくれました。私は仕事モードに戻りつつありましたが、上司との亀裂は修復不可能になっていました。
支店勤務、私は地方採用、上司は本社からの左遷で戻る予定なし。上司に嫌われたらアウトという状況でした。帰り際に上司から指示された業務について、残業申請しても承認されなくなり、退職を決めました。
退職後、父不調
2021年末、私は仕事を辞めました。前年に子宮全摘手術を受け、1年後、検査結果が良くないからすぐに再検査を受けてほしいと電話がありました。結局、組織診で問題なしだったのですが、自分を大事にする時なのかもと思いました。
…と言いつつも、仕事にかまけて両親を放置した罪悪感もあり、翌2022年1月に父を連れて脳梗塞でお世話になった病院へ行ってきました。本当は半年後と言われていたものの、車で片道30分はかかるため、頻尿の父を連れて移動するのは至難の業でした。
大した検査もなく「通院の必要あったのかな?」と思いながら帰宅。これでしばらくは…と思った矢先、父入院の一報が入りました。またしても入院先不明(付添の母が場所を理解できず)。直前に行ったかかりつけ医も何故か電話がつながらず、困惑しました。
母から一度は兄に電話があったものの、やはり場所が分からず、こちらから救急外来のある病院に電話、今回も教えてもらえませんでした。夜になって某病院にいることが判明、状況は不明なものの、何とか母一人で自宅に戻ってきました。
父の病名はS状結腸軸捻転でした。腸がねじれる病気です。父が脳梗塞後、「ずっと下痢している」と訴えていた件、実際に下痢便が出ていたわけではなく、腸捻転による腹痛の可能性が高くなりました。
高齢者は手術したくない
まずは整復で…
翌日、実家に寄って荷物をかき集め、入院先へ行きました。母が行った手続きはやはりグチャグチャで、やり直しました。その翌日は医師から説明を受けました。絶食し、内視鏡カメラで腸の位置を整復したが、すぐ再発したため再度整復したとのこと。
何もなければ数日で退院できると言われたあと、病院から「もう退院できますが、本人がしたくないと言ってます」と連絡がありました。実は数日後、私の誕生日に合わせてパートナーのめきゃ子が温泉宿を予約してくれてました。嫌な予感がします…
そして父は私の誕生日当日、退院すると言い出しました。温泉はめきゃ子母に行ってもらうことに。当日朝、病院から「退院時に着る服がないので持ってきてください」と言われました。え??今?病院側が服や貴重品を紛失したのでは?と疑ってしまいました。
私が同居家族だと思ったのでしょう…せめて前日に言って欲しかったです…。実家に寄ると最短でも片道1時間半かかるため、街中のドンキでスウェット上下を買って直行しました。まさか自分の誕生日にこんなバタバタするとは。
入院時の所持品リストを見せていただき、衣服が一切ないことを確認しました。犯人は、入院時すべて持ち帰ったことを忘れた母でした。病院の皆様、嫌な思いをさせてしまってすみませんでした。
再就職後、父は腸捻転頻発
2022年春、私は再就職しました。有休地獄を繰り返すわけにはいかないため、有料の駆け付けサービスを契約しました。契約金約20万円は私と兄で折半、実際の駆け付け費用(4,400円/時間+交通費)は両親に払ってもらうことにしました。
これで呼び出しから逃れられる…と思ったのですが、この駆け付けサービス、ほとんど機能しませんでした。父が急病で倒れた時、母に電話する能力がなかったからです。保険証ケースに入れた連絡先メモについても、病院から連絡が来たことはありません。
秋になると、父は月2回ペースで救急搬送されるようになりました。ある時は、デイケアから「家族同乗でないと搬送できない」と言われました(そんな決まりはありません)。私が到着する約1時間、救急車を待たせるつもりだったのか謎です。
10月末に私は再び退職、そこからは2日に1回ペースで搬送されるようになりました。その間、何度か医師にも相談しましたが「高齢者はリスクが高い」という理由で、入院や手術には否定的でした。12回目の搬送で、ようやく「手術しますか…」と言ってもらえました。
病院側としてはミスがなくても死亡のリスクは避けたいので、そういう判断をせざるを得なかったのだろうと思います。1回搬送されると最短でも5時間、平均で8時間ほど拘束されます…もう普通の生活なんかできません。
入院前のゴタゴタ
11月後半に旅行を検討していましたが、またしてもこのタイミング。早く切って退院してくれたら行ける!と思ったものの、「抗血小板薬(血液をサラサラにする薬)を飲んでいるからすぐに切れない」と医師から言われました。
2週間かけて調整・一時断薬するため、入院予定の病院からかかりつけ医に投薬変更指示の手紙を書いてもらっていました。ところが、かかりつけ医が指示を無視して処方していたことが判明…調剤薬局に薬を抜いてもらう面倒な作業が発生しました。
入院まであと数日。実家を訪問、お昼に買っていった寿司10貫を一気食いした父が「何となくおなかが痛いから病院へ行きたい」と言い出しました。はい、また腸捻転…そして「もう入院しちゃいましょう」と医師から突然言い渡されました。
「荷物の受け入れは午後3時までです」…今が1時半、実家との往復だけで1時間。やれるのか?やるしかないけど。タクシーで実家に到着、髭剃りのACアダプターや携帯の充電器(←悪夢再び)がやはり見当たらず、それらは諦め、荷物を抱えて病院に戻りました。
荷物を届け、様々な書類にサインし、事前申込していた入院セットの利用日について変更手続きをしました。救急搬送の心配はなくなったものの、認知症の母が予定より早く独りきりに…。激動の手術当日については④でお話します。
倍賞千恵子さん、ブルーリボン賞主演女優賞、受賞おめでとうございます!