金が欲しい…(切実)。これまで口に出して言ったことはありませんでしたが「お金、欲しいです」。ないよりはあった方がいいし、あればあったでたくさん欲しいです。宝くじでも当たらないかな、なんて常々考えてます。
この漠然とした欲望の正体について、2022年冬に考える機会がありました。私とお金の関係や、現在の資産について、順を追ってお話したいと思います。
絶望の10代・20代
金の話=タブーな家庭で育つ
借金がらみの貧乏が長かった尻メガネ家では、長い間、お金の話はタブーでした。自分の親が所有する銀行口座、預金額、負も含むその他の財産等というものについて、介護が必要になる最近まで、一度も話したことはありませんでした。
そして私自身、いつの間にかお金について考えること自体がタブーとなりました。肝心のお金を手に入れるには、自分が働くか、誰かに養われるか、という昭和的な二択しか思い浮かばず、結果として学生結婚するという最悪の選択をしました。
金銭感覚ゼロの元夫
元夫は公務員、様々な手当をあわせると結構稼いでました。が、生活費は3万円で、この中から家賃(公営アパート)・光熱費・食費・日用品・外食・交際費など生活にかかるほぼすべてを支払わなければなりませんでした。
残りは元夫のローンやお小遣い。1年に1台は車(しかも全部デカい)を買い替え、当然のごとくタイヤやホイルも買い、最新家電も欲しいものはすべて買う、という状況。いい年になってからも、親きょうだいからお小遣いをもらっていました。
お金を貸してほしい、と言えない
私は親が闇金から取り立てられるところを見ていたので、自分が誰かからお金を借りるという発想にはなりませんでした。ガチガチに生活を制限されながら昼の短時間パートで稼いでいましたが、大した金額にはならず、車で逃げではGPSで追尾されて連れ戻されました。
方法さえ間違わなければ、逃げることも、誰かにお金を借りることもできたと思います。しかし過労で自殺する人が後を絶たないように、人は追い込まれたら冷静な判断ができません。食べるものがずっとない状態で思考能力も失われていきました。
すべての資産を奪われて倒れた
逃走に使用していた車は、学生時代にアルバイトで貯めたお金を使って購入しました。購入の時に元夫と義父がついてきて、「家族で同じ保険に入った方がいい」という謎の理由をつけて義父名義にしてしまいました。
結局この車もとられて、私はすべての資産を失いました。家族に相談しても「公務員だから大丈夫」と言われ、友だちには恥ずかしくて言えず、社会とも隔絶され、最後は餓死寸前、心肺停止状態で発見されました。長い療養生活の始まりです。
コツコツ稼いだ30代
療養生活は保険が役に立った
長い入院生活で、貴重な出会いや経験がたくさんありました。この時の経験が、今の自分の核になっていると思います。自分も含めてすべての人が死ぬ、そして死に際して、学歴や職歴は関係なくなると感じました。これまでの価値観が一変しました。
療養期間中、離婚届の提出を1日でも早めるため、財産分与も放棄しました。療養中の費用は、当時何も考えず入っていた低額の医療保険が2つあり、満額支払われたことでかなり助かりました。ただ、退院後は一旦親元に戻るため早急に生活費を工面する必要がありました。
アルバイトしながらステップアップ
30代で職歴なしという人を採用してくれる会社はあまりないので、まずは販売のアルバイトから始めました。最初は体力がなく数時間で精一杯でしたが、最終的には終日シフトに入り、実家に月数万円入れながら少しずつ貯金しました。
販売から事務へ、アルバイトから正社員へと変わり、ブラックだけど稼げる会社に定着した頃、親から金を無心されるようになりました。このままだと食い尽くされると思ったので、家を出て一人暮らしを始めました。
ストレスで崩壊寸前
賃貸の部屋には最小限の家電・家具だけ揃え、寝に帰るだけという生活でした。食生活も「もやしだけ」「魚肉ソーセージだけ」といった感じで貧相、この時期それなりにお金は貯まりました。残業代は出ませんが、ボーナスが10か月分出る会社だったのです。
ただし、朝6時~夜10時、なんだかんだで土日や祝日も出勤が多く、ストレスがたまりました。たまに休みがあると国内を旅するのですが、旅先では常に会社と家族に買っていくお土産ばかり気にするというストレスの悪循環にはまっていました。
40代、不動産の購入と売却
まさかの新築マンション購入
ある日、新築マンションの説明会に参加するとクオカードがもらえる、というチラシを手にしました。休日を無為に過ごすなら500円のクオカードをもらおうというケチ根性で参加、素敵な焼き菓子までもらってウキウキしていると不動産会社の方に声をかけられました。
商売上手な彼は「同じ価格でもう1部屋多く購入できる新築マンションが近くにあります」と言いました。私なんか住宅ローン審査に通らない…と思ったのですが「今時は非正規の方も多いのでたいてい通ります」と。本当に通りました。
住宅ローンに怯える日々
当時の貯金は400万。300万を頭金にして住宅ローンを組みました。残り100万のうち、50万を使って家電をすべて買い替え、その他にダイニングセットやソファ、ベッドなども購入しました。貯金はスッカラカン…ものすごい不安がこみ上げてきました。
仕事を辞めたら、ローンが払えなくなったらどうなるのか。契約までは高揚感で想像していませんでした。しかし時間が経つにつれて、払えなくなる日のことばかり想像しするようになりました。一方で何の根拠もなく、「まぁ何とかなるかな?」とも思っていました。
退職、そしてめきゃ子との再会
高校の同級生だっためきゃ子と再会したのはその1年後。私はローンがあるにも関わらず会社を辞め、すぐ再就職したもののよりブラックな就労条件になり、退職するか迷っているところでした。マンションが街中ゆえに固定資産税が高いのも悩みの種でした。
めきゃ子とアウトドアで遊ぶようになり、急激に何かを取り戻した私。結局第二のブラック会社は辞めて、彼女が住むアパートから職業訓練に通い始めました。遂にマンションには住まなくなり、売却を検討することにしました。
手放したら楽になった
職業訓練中もいくらか蓄えはあったのでローンは支払っていましたが、やはり心配でした。複数の不動産会社に見積依頼、対応が一番良かったところに即決。通常なかなか買い手が決まらないそうですが、突如現れたお金持ちが現金一括で買ってくれました。
現金一括が実はものすごく助かりました。購入時より値上がりしていたため、ローンを一括返済したうえで少し貯金も増えました。不動産という資産は手放しましたが、負の資産(ローン)がなくなったことで気持ちが楽になりました。
ローンが当たり前の時代ですが、長期であればあるほど、払い終わるまで何が起きるかわからないというリスクありますよね…。一括で払える稼ぎがあればいいんですけど。続きは②でお話したいと思います。