はじめまして、めきゃ子です。ここに来てくださりありがとうございます!
- 1970年代生まれ:焚き火
とお酒をこよなく愛するアラフィフ(2023年3月から禁酒中) - 家族:パートナー♀と猫♀
- 趣味:料理、筋トレ、お散歩、夏だけSUP
- 乳がんサバイバー(ステージ2A):2019年部分切除手術→抗がん剤→放射線→現在ホルモン療法中
アラフォーになるまで
進学 就職 恋愛、全てが毒親支配下の20代
転勤族で中学まで各地を転々とし、親指定の高校→大学→IT会社へ就職。業界にも人間関係も馴染めないまま、ずるずると8年勤務しました。(氷河期のコネ入社のため申し訳なくて辞めれず)
親からは事あるごとに結婚を急かされたので、じゃあ結婚を早めようかと恋人を紹介すると、彼の見た目が気に入らないと全否定…それが直接の原因ではなかったものの結局恋人とはお別れしました。すると今度は「男に捨てられた」「婚期を逃した」と罵られる日々。とにかく親に疲弊していました。
20代終盤のある日「このままでは死んでしまう!」とアメリカ移住を決意。約2年かけて英語学習+就活+H1-Bビザの準備を終え、逃げるように単身アメリカへ。
アメリカへ逃亡成功、自由を謳歌した30代
初めての海外生活は大変なこともあったものの、アメリカの豊かさと、明るくのんびりしたカリフォルニアの人々に私は癒やされました。
働く喜びを知り、大切な友人を得て、日常が充実していました。一生ここで暮らしたい、そう思い始めたアメリカ生活8年目、東日本大震災が発生。家族や知人に被害はなかったものの、日本のことを考える時間が増えていきました。
のこのこ日本に戻る40代独女
震災から数年経ち、米国永住権の手続きに目処がついたのと、高齢化する両親が気になったので、数ヶ月の休暇をもらい一時帰国することに。しかしすぐに、自分が歓迎されていないと悟りました。
40代独身の娘が帰国して田舎の実家に滞在するという状況下で、両親の毒親度は急速にレベルアップ。わずか数週間で「近所の目が恥ずかしいから誰でもいいから今すぐ結婚しろor早くアメリカに帰れ」という息が詰まる日々になりました。
ああそうだ。この人達から逃げるために、国外逃亡したんだっけ。。やべえ忘れてた。
というわけで、日本滞在中は実家を出なければいけなくなり、急遽日本円が必要に。そして短期バイトの面接に行ったくせにお金欲しさに成り行きで社員として契約してしまうという出来事が、後の私の人生を大きく変えることになりました。
アラフォーでパートナーとの出会い
アメリカの会社に正式に退職を申し入れ、金なし車なし友人なしでヒィヒィ引っ越しを済ませ一人暮らしを始め、日本の職場にも慣れた頃、同窓生の飲み会に誘われて行ってみました。ここで現在のパートナー(尻メガネ)と再会します。
学生時代は全く付き合いがなかったけれど、話してみると趣味も合って意気投合、一緒に暮らすまで数ヶ月というスピード婚(日本なので籍は入れられないのですがまあ気分的に)。
初めての同性との暮らしは、想定外の安らぎと幸福をもたらしてくれました。
アメリカ生活で「自分らしくあることが幸福の鍵。自分の人生の決定権は自分にある」と学んだ私は、周囲の目を気にせず、同性婚を家族・友人・会社に公表することにしました。
家族の反応は「理解できない」「気持ち悪い」と想定内でしたが、友人・上司・同僚は理解を示してくれ、ありがたいことに祝福&応援のコメントを多々いただきました。今では家族も、パートナーの素晴らしさを知り、私の幸せに満ちた表情を見て、考えが変わったようですが。
私に家族が出来て、両親との関係も変化しました。対等かつ距離が保たれているというか。「もう1人じゃないんだ」「私には帰る家があるんだ」と思うと、ビクビクすることがなくなりました。
乳がん・3度の再就職の失敗
婦婦生活も3年が経ち、官公庁気質の職場に窮屈さを感じはじめていたこともあり、ベンチャー企業に転職することにしました。が、そこが超ブラック企業とわかり地獄が始まります。
ホワイト企業しか経験していなかった私にとって、パワハラやカルト社則の衝撃は大変大きく、この時期は何度も原因不明の病気になりました(逆流性食道炎、耳下腺炎、アテローム、肛門周囲膿瘍、モンドール病等)。頑強な体だけが自慢だった私が、です。結局、鬱病寸前になり半年で退職しました。
退職し時間が出来たので婦人科健診に行くと、まさかの乳がん発覚。ああ、数々の小さな病気は伏線だったか。がんというラスボスが待機していたとは。
なぜか、お先真っ暗というよりも「ああ、これで堂々と休める」と思ったことを覚えています。そして、手術→抗がん剤→放射線治療を経て、自宅療養も含めるとトータル1年弱で復活しました。
髪の毛が生え外見も戻ったので、再就活→再就職。しかしまたもや3ヶ月でブラック企業と判明→退職→再々就職→またまたブラック企業→退職。40代で転職3連敗という誠にお粗末な結果になりました。
いまなぜブログを書いているのか
数ヶ月でサクサク辞めるなんて、根性がない!と思う人もいるでしょう。
でも、病気の経験から「人生は短い。自分を大切にしない人物や団体とは早々に手を切るべし。」と心に決めていました。
私は現在、個人事業主として、海外の会社から直接お仕事を受注し、業務委託で働いています。仕事を一緒にする人を慎重に選べるし、一度も会わなくても、きちんと働き続ければ信頼関係を築けます。
一番ありがたいのは、日本の会社で経験した数々の謎の事象(忖度・差別・ごますり・脅迫・嫌がらせ・マウンティングなど)が、今はゼロだということです。
なぜ最初から個人事業主になるという発想がなかったのか。きっと「大企業の正社員でいるべき」という昭和的な価値観から抜けていなかったのかなと思います。
今はパソコン1つで世界と繋がり色んな形で働ける時代です。様々な事情で物理的に外出できなくても、可能性が閉じたり、貧しくなるとは限りません。
思えば闘病中も、連続の失業に心折れた日々も、インターネットは私の味方でした。様々な方々の情報発信のおかげで、新しい世界を知り、行動する勇気が出て、今おだやかで豊かな日々を送れています。
私がブログを始めた理由は主に2つです:
- かつて私を癒やし勇気をくれた方々から学んだことを残しておきたい(お礼も言いたい)
- 世界にいる素敵な方々や、面白そうなことと、もっと繋がりたい
なので、まずは自分もインターネットの海に飛び込んでみることにしました。
このブログが素敵な出会いのきっかけになりますように!
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
めきゃ子 2022年11月